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めん類およびきしめんの起源
めん類の起源に関しては長い間、中国か、イタリアか、アラブかで論争がありましたが、2005年中国で、最も古いめんの記録を塗り替える発見がありました。
中国北西部の黄河上流域の台地にある新石器時代の遺跡で、洪水などでできたとみられる厚さ約3mの堆積物の下にあった土器の中から、
直径3㎜ほどの細く黄色がかっためん状のものが見つかりました。
放射性炭素による年代測定の結果、約4000年前のもので、原料はイネ科のキビであることが分かりました。
その後、箸状にしたものをちぎったり、指で揉み碁石状の形にしたりして、ゆでて煮た後に汁などをかけて食べていました。
また日に干して乾燥させ保存食にしたりもしていました。
日本にめん類が入ってきたのは14世紀初めころと思われます。
1350年(室町時代)の『庭訓往来(ていきんおうらい)』(辞典またはレシピ本)には「小麦粉をねってうすくのばし、竹筒の先で碁石の形に押し切り、煮てきなこをつけて食べる」の紹介があります。
"きしめん"という名称が認められるのは江戸時代の1700年代です。
1728年の句集『二重袋(ふたえぶくろ)』に「かくしても きしめんにこそ 香りけり」の俳句が載っています。
日本各地に平たい形状のめん文化はありますが、固有名詞"きしめん"と称しているのは名古屋周辺(尾張、三河地区)に限られており特徴的です。
1800年ころには、薬味や具材などをのせて庶民に広く食べられていました。
きしめんの語源
"きしめん"の名称の由来は次のように諸説ありますが、前述のめん類の起源から推測しても3番目の説が有力と考えられます。
①雉肉を入れて食べた | → | きじ肉 めん |
→ | きし めん |
②紀州由来の人がもたらした | → | きしゅう めん |
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③棊子(碁石)の形状のめん | → | 棊子きし めん |
きしめんの形状と必然性
日本農林規格(JAS)では「幅4.5㎜以上、厚さが2.0㎜未満の帯状に形成したもの」を「干しひらめん」(乾麺)としてきしめんを定義しています。
JAS認定を受けないのであれば、どのような形状のものをきしめんと称しても構いません。
名古屋周辺で平たいめんが好まれるようになった理由として、この地域の倹約気質からゆで時間を短くして燃料を節約した、ということがよく言われます。
しかし実際には、ゆで時間は形状よりも製品特性(加水量、塩分量、水分量)の差に依ることの方が大きいので、この説は後世のこじつけと考えられます。
平たいめんは表面積が大きいので、中部地方特有の濃厚な味のしょうゆやみそで作った汁を、めん肌にのせて十分に味わうことができます。大豆を主原料とする、この地方のたまり醤油や八丁味噌に代表される豆味噌などは色目は濃いが塩分量は薄口しょうゆや白みそよりもはるかに低く、またたんぱく質やポリフェノールを多く含んでおり、旨味が強い特徴を持っています。岡崎出身の徳川家康の長寿を支えたもとは、一説によると麦飯と豆味噌だったともいわれています。
平たいめんの形状は、汁の旨味をめんに最大限にのせて味わいたいという、いわば地域の必然性に起因していると推測されます。
名称の由来
1923年創業の当社は、1970年に熱田神宮に店舗を構えさせていただいたことから、当時「 」の名を冠することをお許しいただき”宮きしめん”を店舗名、製品名とし、社名を宮商事株式会社と名のらせていただいております。
熱田神宮は、皇位継承の象徴である三種の神器(さんしゅのじんぎ)のひとつ"草薙の剣(くさなぎのつるぎ)"が祀られています。(他は八咫の鏡、八尺瓊の勾玉)
日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの剣を持って焼津(静岡県)で草をなぎ払い、賊を滅ぼしたので草薙の剣と称されています。日本武尊が病に倒れて亡くなった後、妻である宮簀媛(みやづひめ)が熱田の地に社(やしろ)を建てて剣を奉安することにしたのが熱田神宮のはじまりとされています。(AD113年)
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